家庭料理をご提供する
コミュニティ型飲食店ー侑歩

投稿日:2019年1月6日

目に見えないものにこそ、目に見えるものの。

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昨年の秋頃から、いわゆるスピリチュアル系というべきか、はたまた物事の真理というか、そういうものに凄くハマっています。

今日は、「運」の正体という本を紹介したいと思います。

女将、あまりにジリ貧すぎて、いよいよ変なことにハマったか?

そんな声が聞こえて来そうですね!

大丈夫です。大量お布施も寄与出来ませんし、水晶玉を撫でなでもしていません。苦笑。

だって私も

もともと目に見えないものには、ほとんど興味がなく、胡散臭いとしか思えない。

だって、目に見えないものだから、正しいかどうかも分からない。

本当に罰当たりな人で、お仏壇参りやお墓参りすらも、

私たちが経済的にも精神的にも安定しているから、お花も備えることが出来る!

とまぁ、罰当たりな人だったんです。

今から考えると、祖父の影響かも知れません。そして父方の祖父母ともに長生きだったこともあり、実家には20歳を越えてなお、仏壇というものが自宅に無い生活をしていましたから。それに母方の方へも、盆暮れと正月ぐらいに行くだけでしたので、仏壇は、両親に言われるから、なんとなく手を合わせるという感じ。こうちゃんと結婚して初めて身近に感じるということですが、まぁめんどくさいという罰当たりな人だったんです。

祖父曰く、三河から口減らしで大阪の遠い親戚の縁で、水引職人の奉公にだれ、生きてきた。

帰りたいのに帰れない。

愛してやまないのに、愛せない。

いわゆる典型的な【男たるもの錦を飾って】です。言葉ではほんの数行でも、凄い精神力と忍耐力だと思う。職人気質で、実直で、口数の少ない人でした。

祖父の口癖は、

【男たるもの仕事に誇りを持って一国一城の主になることこそ大義】

仕事にはいつも貪欲で、職人として大成することこそ全てという人でした。

晩年は【水引は、慶事や仏事だけのものではなく、日常生活の営みの中で人の心を宿すもの】として普段の生活に浸透してこそ本望と、慶事や仏事などで使う主流のものから箸置きなどの日常生活に密接に関わるもの、部屋のしつらえものを作ったりしていました。今では手芸店にもそういう思いが浸透するようになって水引なども購入出来るようになっているようですが、今から思えばそんな先駆けを作ったようで、昔は【結納店】という店が存在して、そんなお店の店主が、毎日のように作りかたを教えてくださいと訪ねて来られていました。今で言うところの口コミが口コミを呼び、東大阪の技能なんとか賞(覚えておけって話ですが)も授与されたし、それを機に、NHKの取材も受けたりしていたのを覚えています。でも、私の父には一度も継いで欲しいとは言わなかったし、

【これからの時代は、車社会になり人のニーズも変わる。これからの時代は、手に職だけで食べていける時代は終わる。衣食住のどれかに関わる仕事に就くべきで、車で来てもらえて分かりやすい場所で商売をすべきだ。そして儲けさて頂き、お客様に喜んで頂けることこそ全て。それを実直に納税という形で社会貢献するべきだ。】の言葉通り、東大阪のラクビー場の北側に私の実家はある。

そして立地にも。【幹線道路に面していて、目印となる建物があり、都心から帰路に向かう側の信号付近ある角地がいい。そして不動産というものは、字のごとく動かしてはいけない心揺るがしてはいけない財産。だから土地を買うときは、一銭たりとも値切って購入するべきでは無い。値切るということは自分の心とその土地に邪念を入れること。価値を見出せない、見合っていないと思う行為だ。】

その信念通り実家は、ラクビー場に面した幹線道路の北側に位置していて、ラクビー場前の信号付近。西から東方向へ進む側にある。

祖父に言わせると、信号で停車すると、本気で取り組んでいる職人なら、今日はこの材料が少なくなったなぁとか、あの道具もそろそろ買い替えどきだなぁとか思う。そうすると人は必ずそれを満たそうとする心理が働き、購買意欲が上がる。そんな時、ふと信号の先に看板が見えれば自ずと立ち寄ってくれる。今でこそDIYが主流になり、職人と素人の垣根がドンドンと無くなりました。でも昔は左官仕事と大工仕事は、職人芸。と言われて、いわゆる水平を取ったり長さを確認できるように、墨付けという作業するのですが、それを一人前にできるようになるには数年かかると言われたものでした。なので、今でこそホームセンターと言われる量販店には、職人が使うとされた道具も所狭しと販売されていますが、昔は売れないとされていたし、プロはプロが行く店。素人は素人が行く店と住み分けがあったわけです。

いつもながら、話が脱線してしまいましたが、

要は運というのは、日々自分を見つめて実直に自分のすべきことをすることで掴むことの出来るものなのかと思います。【運のいい人】【運の悪い人】と言いますが、人から見て、あの人は運がいいと思っても果たして本人は運がいいと思っているかというとそうではなかったりします。また運が悪い人だなぁと思える人でも本人は運がいいなぁと思っていたりするということです。

運とは、自分自身の見えない【氣】というエネルギーとそれを具現化して物質化させた【お金】の融合体。その融合体に【徳】というこれまた見えないエッセンスをどう加えて行くか、その行動を平等に与えられた時間の中で費やして行くかということなんでしょう。

著者曰く、算命学という中国から伝わった占術に人の喜びを表す言葉に【五徳】というものがあり、【福禄寿官印】で表すと言います。

福 満足といった精神安定

禄 財力、食録

寿 健康

官 名誉、地位

智 知識

そして【運がいい人はどんな人ですか?】と訊かれたら、一貫して【自分に素直な人】と答えるといいます。

素直というのは【ある我まま】。他人のいうことを自然に(なるほど)と思えば頷き、(なぜ)と思えば質問する。念という思いは字のごとく、今の心。自分でごまかしてしまえば氣は淀んでしまいます。それを「我慢」と説く人もいれば、「辛抱」と説く人もいます。我慢は我が慢心と書き、傲慢さや強情につながります。辛抱は、辛さを抱えてしのび、それは学びとなって力になります。

私は、この本を通してというか目に見えない世界にどっぷりと興味を持つきっかけを作ってくださった人から

みっちゃんのお店は、どこかさみしい。みっちゃんはね、過去世も現世も物を作り出すことを喜びとして、人に寄り添える素晴らしい人なの。だからこんなに素晴らしい料理が出来るのよ。真面目で本当に心がよどみのない人。もちろん悪いエネルギーがあるわけでは無いの。なのにお店に色がないの。私は、邪念だったり、悪い氣があると気分が悪くなるのね。でもそうはならないんだけど、なんなんだろうね。

そう、私は昨年まで【自己肯定感失望症】だったから。

一に我慢、2に忍耐、3、4がなくて5に根性 気合いと我慢で乗り切るんだーーーー。ですから。そう著書が言うように、どこか傲慢で強情になっていました。でもその反面、【素朴な家庭料理ですからね。】と言いつつも、家庭料理こそ、食のベースで日々のかけがえのない命の源。オープン当初は、無農薬や減農薬とそういえば、時代の流れに乗って、支持されると思ってうたっていましたが、もちろん今も出来るだけいいものを使うようにはしています。でも、侑歩で食べたものをたとえ一品でもご自宅の食卓で、大切な誰かと一緒に楽しんで欲しい。【女将に教えてもらって作ってみたの】とどこかで言ってもらえたら、嬉しいなぁ。だから、出来るだけ手に入れやすい旬の食材を使って作っています。昨今は、加工食品がとても改良されていいものがたくさんあります。でも誰かの笑顔や健康を願って作り出す料理は、とてもかけがえのない尊いものだと思います。それがたとえ素朴で不恰好で、インスタ映えしないとしても。時代は流れて、なんでも手に入る世の中になりました。ですが、【不易流行】と言う言葉通り、時代の大きな流れには逆らうことは出来ませんが、変えてはいけないもの。それこそが、家庭料理のエッセンスが隠されているように思います。

私は、日々家庭料理を作ることで愛情という名のスパイスが完成し、徳というエッセンスへとつながります。それが【運がいい】につながるんだと今は思います。

皆さんの徳という名のエッセンスを作り出すには、どんなスパイスがいいんでしょうか?

さぁ、皆さんは運のいい人になるために、どんなスパイスを調合して、スペシャルエッセンスを作りますか?



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